柳澤健「2016年の週刊文春」
2016年1月、事件が起きた
相手は紅白出場歌手、バンド名を文字り「ゲス不倫」と名付けられあっという間に世間の関心をさらう
2016年以降、ゲス不倫を皮切りにスクープを連発し「文春砲」が世間を震わせる
芸能人も政治家も文春砲を恐れ、世間の関心は週刊文春に集中するようになった
週刊文春は一体どんな組織なのか?
スクープを連発する新谷学編集長は何者なのか?
「殺しの集団」「ヒットマン」の異名を取る週刊文春編集部を解き明かすのは柳澤健
「1974年のサマークリスマス」「2000年の桜庭和志」などを生み出した気鋭のノンフィクションライターが迫る通算10作目「2016年の週刊文春」だ
転換点となった2016年を基軸に8部構成で週刊文春の歴史を振り返る内容となっている
500ページオーバーで分厚いルポルタージュであるが一気読み必至
片付けなければならない仕事、家事を抱えている人は避けたほうがいい
とにかく一気読み必至だ
花田紀凱編集長時代の「疑惑の銃弾」ロス疑惑、「野獣に人権はない」と犯人のプライバシーを斬り捨てたコンクリート詰め殺人事件、そして新谷学編集長の2016年のベッキーゲス不倫
日本の重大事件を硬軟織り交ぜながら白日に晒した週刊文春の歴史を知る一冊ともなる
私は週刊文春について知らないことが多い
本作で初めて知る事実もあった
ベッキーゲス不倫についての論調である
あの当時、週刊文春が先んじてベッキー叩きをしたというイメージを持っていた
しかし週刊文春は「優等生ベッキーが恋をした」という論調で記事を構成していた
あのベッキーにも意外な素顔がある、と
しかし本書の言葉を借りると「水に落ちた犬になると、みんなで一斉に叩きまくる」
ベッキーを引きずり下ろしたのはワイドショーなど世間だった
これは言い換えると週刊文春はスクープを報じるだけでなく世間の空気を作り上げることにも成功したといえる
これほどまでのスクープを連発する新谷学編集長とは何者なのだろうか?
他人のスクープを隠れ蓑に自分自身は素性を表さない人物だろうか
奥の院にいて影武者たちに矢継ぎ早に支持を出す当人は正体不明な人物だろうか
それは違った
新谷学はどこまでも真摯な男なのだ
「親しき仲にもスキャンダル」という新谷学の名言に現されるようにどんな関係でも懐に入り込みスクープを掴む
相手が芸能人でも、反社会的勢力でも、権力の中枢でも変わらない
当然、スクープを暴かれた側とは関係は壊れる
しかし新谷学は「壊れた関係は修復すればいい」と言い切る
新谷学は学生時代にヨット部で鍛えた体を資本に爽やかでバイタリティ溢れる姿勢を感じさせる
酒席では徹底的に飲み、羽目をはずした結果、骨折しボルト12本が入るという伝説も持ち合わせている
一方で旧来型紙媒体に拘る上層部への説得を丹念に重ね、「文春デジタル」ビジネスモデルを確立した優れたビジネスパーソンでもある新谷学
本来なら大新聞が報道を担うことも週刊文春がスクープしクオリティペーパー化する新しい週刊誌ジャーナリズムを築いた
本書で特筆すべきは柳澤健のスピード感溢れる文章だ
週刊文春のノンストップでスクープを追う姿勢をそのまま紙の上に叩き出した
記者が元少年Aへの直取材を決行した時
「お前、顔と名前、覚えたぞ。わかってんのか、おい!」
元少年Aは記者に激昂し、逃げる記者を元少年Aは追いかけようとした
正真正銘、文字通りの命懸けの取材であることが伝わる
トム・ニコルズ「専門知はもういらないのか 無知礼賛主義と民主主義」
【本書を読んだ目的】
TVを見ていると朝から晩までワイドショーはコロナ騒動一色である
医者から官僚まで専門家が乱立している
しかし議論により問題は整理されるどころか、より混乱を招いている
専門家による知見は必要なのか?
インターネットのブロガーのような曖昧な知見が優先されるのか?
【本書を読んだ結果】
混乱の原因は専門知と無知の二軸対立という簡単な話ではないということに気付かされた
無知を恥じない姿勢、知識の欠如に対する傲慢さが問題なのである
【印象的フレーズ】
「我々が住む社会は分業。つまり全員が何もかも知らなくても問題ない仕組みで動いているものだから。パイロットは飛行機を飛ばし、弁護士は訴訟を起こし、医師は薬を処方する。
(はしがき)
はしがきのフレーズだが、本書では、結論に辿り着く前に終始一貫して文学的文章が続く
誰もが万能の天才、ダ・ヴィンチである必要はない、と説く
「別の言葉で言えば、トランプの支持者たちは、トランプがとんでもなく無知な発言をしたときに、大目に見ているでのはなく、ダニングが言うように『彼らはそうした失言を間違いだと気づいていない』」
このフレーズこそ本書のエッセンスである
2020年11月8日時点でアメリカ大統領選挙は決着がついていない
開票・集計方法を巡り暴動に発展しトランプ支持者たちは集計会場に詰めかけ、疑義を叫んでいる
筆者は無知であることを恥じよ、と説いているのではなく間違いや無知であることをまず認めることにかなりのページを割いている
本書では結局、専門知の現在について明確な結論を出していない
専門家にも誤りがある点、インターネットで過去情報に容易にアクセス可能になったことも悪いとは言い切っていない
読者に考えさせること、それが目的なのだ
原尻淳一「READING HACKS!」
2008年発行、原尻淳一「READING HACKS!」
【本書を読んだ目的】
高速に大量に読書するため
とにかく読みたい本が多い。効率的に読むにはどうしたらよいか
HACKという斬新な視点に興味を持ったこともきっかけの一つ
【本書を読んだ結果】
アウトプット前提のインプット術を学べた
興味を持った本を乱読するのではなく、時間配分を意識して効率的に読書する習慣を身に付けたいと思った
【印象的フレーズ】
しかし、バラバラに点在している書評をいちいち収集して比較検討するほど時間に余裕はありません。
そこでお薦めなのが「書評・ブックレビュー検索エンジン」です
書評・ブックレビュー検索エンジンとは書評を横断的に検索できるウェブサイトである
日経新聞の書評欄のように高品質の書評をじっくりと読む、というのも読書体験としては贅沢である
しかし時間は限られている
ざっくり概要を把握して読むか否か決めよう
第4章では読書を通したキャリア論が展開されている
ゼネラリストを目指すのであればあらゆる専門分野を水平的に読む読書が必要になります。
一方でスペシャリストを目指すのであれば、特定分野を垂直に深めていく読書が不可欠です。
ビジネスをする上でも自分の思考に『ホームグラウンド』を作っておけば、そこに戻って考えればいい。それには垂直型思考を徹底的に行うことが大変有効です。
業界を横断的にまたがる読書が"水平型読書"であり、キャリアを深める読書が"垂直型読書"である
垂直型読書で専門分野をしっかり作っておけば(著者の場合はマーケティング)、別分野に応用できると解説している
人生は短い。読書に割ける時間はもっと短い
しかし知りたいことは山程ある
本書で効率的読書術を身に付けよう
佐藤優「国家の罠」
2005年初版発行、佐藤優「国家の罠-外務省のラスプーチンと呼ばれて」
【概略】
ロシア外交、北方領土をめぐるスキャンダルとして政官界を震撼させた「鈴木宗男事件」。その“断罪”の背後では、国家の大規模な路線転換が絶対矛盾を抱えながら進んでいた――。外務省きっての情報のプロとして対ロ交渉の最前線を支えていた著者が、逮捕後の検察との息詰まる応酬を再現して「国策捜査」の真相を明かす。執筆活動を続けることの新たな決意を記す文庫版あとがきを加え刊行!(新潮文庫公式サイトより)
【本書を読んだ目的】
佐藤優の原点を探るため。
これまで佐藤優の著作を何点も読んできたが、原点にあたる本書は未読だった。
500日以上に及ぶ"小菅ヒルズ"体験とは何だったのか。
【本書を読んだ結果】
佐藤優が定期出演しているラジオで話していた、911当時の田中真紀子大臣の仰天行動や収監後の検察との闘いといったエピソードは本書の内容そのままであった。
強烈な体験が佐藤優の執筆活動に生きていると分かった。
【印象的フレーズ】
小泉政権成立後、日本は本格的な構造転換を遂げようとしています。
内政的には、ケインズ型公平配分政策からハイエク型傾斜配分、新自由主義への転換です。
外交的には、ナショナリズムの強化です。
ケインズ経済学の主張は市場経済は放っておくと不安定になる、というものだ。
対してハイエク経済学の主張は市場経済に任せ計画経済の行き詰まりは独裁者を生む、というものである。
小泉改革から15年を経た2020年は新自由主義は加速し、ますます公助より自助が重視されている。
「国民の知る権利」とは正しい情報を受ける権利も含みます。正しくない情報の集積は国民の苛立ちを強めます。
閉塞した時代の状況の中、「対象はよくわからないが、何かに対して怒っている人々」が政治扇動家(デマゴーグ)に操作されやすくなることは、歴史が示しています。
コロナウイルスの話題が席巻する2020年。
正しい/正しくない情報の見極めが更に重要になった。
不安になった人々が「自粛警察」「マスク警察」に変貌していく現在の姿に重なる。
福田和也×石丸元章「男の教養 トンカツ放談」
2012年に休刊した雑誌「CIRCUS」の連載を単行本にまとめた、現在では入手困難となっている本書。
単なる時事批評ではなく、東京のトンカツ屋を中心に巡りながら語り合う異色の対談本となっている。
福田和也のトンカツ愛は別の対談本でも語られていたが、"トンカツ"を冠する本書では何が語られているか知るために読んだ。
石丸元章のアウトローな過去もさることながら、福田和也の「二度揚げしてるから衣がしっかりしてる」と、しっかり観察するなどトンカツへの偏愛、知識には驚かされる。
福田は本書の中で教養についてこのように語っている
「学生に説明する時は、ゲーテの『ヴィルヘルム・マイスターの修行時代』という小説を例に出すんです。その中でゲーテは『教養とは自分になることだ』と答えを出している。
つまり教養とは自己目的なんですよ。知識は稼ぎにつながるけど、教養はカネにならない。でも、ムダなものを身に付けることが一番大切だし、優雅であるということです。自分という人間はなかなか自分にならないからね。」
この言葉の中の「教養」をトンカツに置き換えて考えてみてほしい。
トンカツは無数にある食事の中の一つでしか無い。トンカツを食べたところでカネにはならず、その日一日は充足感に満ちるがいずれ消えるものだ。
しかしトンカツ屋を巡りこれまで訪れることのなかった街を訪れることで、これまで知ることのなかった街の輪郭が見えてくる。
本書を頼りに私もトンカツ屋巡りを始めた結果、素晴らしいトンカツ屋に巡りあえた。
大井町「丸八」ではトンカツの概念が覆るしみじみと旨いトンカツを食べた。
老夫婦が切り盛りする店であり行く先は短い。
大井町には馴染みがなかったが何度でも通いたくなる街であることを発見した。
トンカツを通し教養を見つける。生きづらい世の中を少しでも自分のものにする。
それが本書から学べることだ。